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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。E03-021 若竹 臨時号 紀元二千六百年記念文集 北海道私立小樽水産学校校友會。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。 | |||
漢詩文 | 原本自筆上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)の漢詩の落款が押捺されている。印判秘決集 全。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。源氏物語「夕霧」原本の17-Aの原本に記されております。■『人肉質入裁判(全)』英國西基斯比亜氏(Shakespeare)原著。井上勤翻譯。■日本で最初に翻刻の第3版。。紫式部が「夕霧」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「夕霧の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「蜻蛉の巻」に用いられていることで広くしられている。C61-094 太平義臣傳 八 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。 | |||
漢詩の落款の意味 | 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。聚興誠銀行 支票 漢口 中華民国 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 透かし 銀銭票 荘票。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。C61-095 太平義臣傳 九 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。Y3B3-240517 レア[改正増補 文證大全 益永晃雲 名和竹堂 三版 完 明治30年 文証大全]博覧会見物ヲ約する文。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。高達折吉編『新撰活用字典 全』明治27年 翰香堂刊 印記「長野県北佐久郡平原尋常小学校印」明治時代和本(銅版本)漢字辞典。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。三月堂 安藤正輝 安藤更生 昭2 仏教美術叢書 仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 戦前明治大正古書古文書OM。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。Y3B3-240517 レア[女子新国語読本 巻4 昭和9年 1934年 安藤正次 東條操]菊池寛。 つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。Y3B3-240510 レア[百人一首夕話 全9冊揃 享保4年 尾崎雅嘉 敦賀屋九兵衛 大石真虎]和泉式部。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。 | |||
自筆の希少価値について | 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。1948年 台湾銀行 條 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印多 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 銀銭票 荘票。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。何苦楚 昭15 4巻7.8号 臨済宗 長岡参寥 禅宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書OM。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。帙入4冊。■附録「田近陽一郎(傳)」付。大正14年刊。。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。C60-025 日用百科全書 第二編 茶の湯と生花 折れ 破れあり。C61-090 太平義臣傳 五 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。撮影後、展示のために再表装をしております。C61-091 太平義臣傳 十 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。古文書 江戸期 地所帳 市村 北海部郡 大分県。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。■『嘉永刪定神代文字考(全)』鶴峯戌申著。■阿奈以知(anaichi)文字。神代文字論。。■『神秘靈魂口よせの術』双龍軒先生(高田俊一郎)著。大正7年第6版凾付。竹生英堂發兌。。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。0035318 首書 詩経集註 巻1-7 7冊 (巻8欠) 朱熹集伝 江戸刊。成親王萬个山房 経折本 遜記書荘 検索⇒玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。和本 江戸時代 通俗西遊記 初編 (六冊) 一~六。南無薬草応用法 西坂見明菩 昭9 弘法大師 経本 仏教 検)薬学漢方学東洋医学 浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前OM。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。Y3B3-240517 レア[和歌布留能山不美 秋冬]。@kp044◆超希少本◆◇『 雅楽界 第48号 小野雅楽会創立80周年記念号 】◇◆ 小野雅楽会 昭和43年。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 天保2 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗NY。C61-062 龍泉式靈息統一法講義授録 靈息統一学會発行 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。C61-093 太平義臣傳 七 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。Y3B3-240517 レア[増注校正 頭書字彙 首・丑・申・午・戌巻 バラ まとめて5巻セット 鐫宣城梅誕生先生重訂字彙 鹿角山房蔵版]。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。亞墨利加一件諸家上書・亞美理駕合衆國江使節聞書・亞墨利加風聞書・應接假條約ノ趣無閑儀次第。Y3B3-240517 レア[広益正字通 鎌田環斎 加唐復斎 安政2年]。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。い59-010 第一期 4 西村白烏 柳亭種彦煙霞綺談 柳亭種彦 柳亭筆記 吉川弘文館。古文書 巻物 浄土真宗教義 写し 墨筆 江戸時代後期 仏教 法帖 写経 経文 蔵出 約2.3㍍ (親鸞 骨董品。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。城取膚団軍艦 文化10年 兵法書写本 江戸時代 攻城戦 上杉謙信武田信玄 武道剣術戦国時代合戦戦国武将兵学軍学軍事甲冑越後流甲州流OB。【象のあくび 象の欠伸】函付 有坂蔵 大正14年発行 帝国大学教授工学博士 海軍造兵中将 古書 戦前。母は後水尾天皇皇女女二宮。★0485和本天保3年(1832)「馬島流眼科医学写本」5冊/津軽/進藤良策/尾州馬島明眼院/古書古文書/手書き。弘法大師念仏秘事口伝 明治26 真言宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本OI。幼名は多治丸。張華撰『正続博物志』(全二十巻揃)天和3年刊 江戸時代和本 東洋医学 本草学 博物学 唐本漢籍和刻本 北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。『墨場必携』六冊 六巻 市川米庵 明治13年 川勝徳治郎翻刻 和本 古書 漢詩 ②E。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。C61-069 大岡仁政録 壱二 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。『國文學十二種 佛語解釋』 (明治時代 仏教辞典) 【著者】織田得能【発行所】光融館。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。C61-075 少年世界 遠足會 記名塗り潰し・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。■『日本年表(「帝國紀年私案」改題版)』落合直澄著。明治21年上梓。著者は国学者・落合直亮の実弟。。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている | |||
HP | 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。1948年 天津隆遠銀號 支票 検索⇒銀票 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 水印紅印 銀銭票 荘票。E05-051 配電用變電所の保守 カバー折れ・書き込み多数・全体的に汚れ有り レトロ。 ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。和本「瑩山禅師著 伝光録」2冊揃 明治18年 瑩山紹瑾 仏書 禅書 釈迦から懐奘までの曹洞宗歴代祖師の伝記集 古文書 ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4.3点 現在、4543件のレビューが投稿されています。 |
自筆「源氏物語」の「夕霧(ゆうぎり)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。日本神代文字に対し漢文基調で反駁した内容。C61-072 書學階梯 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。泰山印選 検索⇒ 金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩。Y3B3-240517 レア[和本 医学・薬学メモ帳? 天保2年上旬 集合書取本]。和本 文中子 全4冊 深田厚齋校正 文榮堂藏版。明治期ビンテージ 「各種雛形精密圖入 銃砲正價報告書 上」 附取扱説明 金丸謙次郎著 非売品 明治27年9月改正 1890年代 SMN604(7-6)。江戸期ビンテージ 沼田根元記 沼田根元昔物語 古書 永禄年間から天正一八年までの沼田氏・沼田城の興亡を中心にすえた戦記物 SMN604。【タイトル】 好古集覧 革図考(かくぜんずこう) 初輯 【著者】 池田義信 ◆ 池田 英泉 ◆ 希少 ◆ 革ゼン図考 革究圖考 ◆。四清印譜 検索⇒金石篆刻 書道 封泥 朱印泥 雅印存 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。解体新書(復刻版)和綴本五巻《帙入》解説書一巻。1932年 上海和豊銀行 支票 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲満鉄 水印 銀銭票 荘票。Y3B3-240510 レア[和歌梯 文化11年 北村四郎兵衛 葛西市郎兵衛]女郎花。C61-070 神道徳次郎 東京 上田屋発行 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。日本シェル出版発行。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。「夕霧」の巻名は、夕霧が柏木の正室(朱雀院の姫君・女二の宮)落葉の宮に書き送った和歌「山里のあわれをそうる夕霧に立ち出でん空もなき心地して」による。柏木は、自分がなきあとの正室・女二の宮(朱雀天皇の皇女)の行く末を案じ、友人の夕霧に遺言として女二の宮の後事を託す。そこで、恋心がつのった夕霧は、落葉の宮との結婚を願うようになる。だが、その手紙は夕霧の正室・雲井雁の発覚によって夕霧に渡ることはなかった。しかし、夕霧の希望により落葉の宮との対面の機会が生まれ、二人は婚儀を行なう。夕霧と結婚した落葉の宮は、その後、多くのこどもを授かり幸福な時を過ごす。和装本。Y3B3-240510 レア[武家必用 甲冑着用早学 軍陳随一之書 上下 まとめて2冊セット 練武館]東照宮御麾之図。■『日本古代文字考(小槇舎藏版)』上下揃。。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第4号 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]北条時宗 元使を斬る図。日本語教科書 台湾中華民国教科書 巻2 昭和13 中華民国27年 検)台湾支那満州中国 尋常小学校 戦前教育学 明治大正古書OI。深奥山方廣萬寿禅寺 文政2 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。神代文化研究會發行。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。嘉永3年(1850年)後刷。》
《夜も、》・・・・あ(明)けかた近く、かたみに、うち出て給ふことなくて、
そむきそむきになけ(嘆)き明かして、朝霧の晴れ間も待たす、
例の、文をそ、いそき書き給ふ。いと、こまやかに書きて、うち置きて、
うそふき給ふ。
「いつとかは驚かすへき明(け)ぬ夜の夢さめてとかいひし一言うへより落つる」
とや、書いたまへらむ。人召して、賜ひつ。なを、いか・・・・《なることそ」》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《夕霧、月明かりの下で恋する女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)とご対面》
《夕霧、女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)に後朝(きぬぎぬ)のお手紙を書き送る》
《夕霧と女二の宮(朱雀天皇の皇女・柏木の正室)の恋の手紙の往復》
《女二の宮(朱雀天皇の皇女・柏木の正室)への手紙の返事に小少将の君の宮の和歌を入れる夕霧》
《大将(夕霧)の北の方(夕霧の正室・雲居雁)は、ひどくお心を痛めていらっしゃる。昭和11年國教宣明團。
北の方(夕霧の正室・雲居雁)は、じつにおもしろからぬお気持でいらっしゃるが、
いつぞやのように奪い取ろうともなさらない。
声をひそめていらっしゃるけれど、その声はしぜんと漏れてお耳に入る。上より落つる」
とでもお書きになったのであろうか。
大将(夕霧)は、人をお呼びになり、お手紙をお手渡しになった。
やはり、どういうことに・・・・《なっているのだろう」
と実際のところを知りたくお思いになる。
備考2・落葉の宮は、朱雀帝と一条御息所の皇女で、柏木の正室。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Evening Mist (夕霧)》
"Never saw anything like it," said one of the women.
"He always used to be so well behaved."
Kumoinokari was very unhappy indeed.
He seemed to have lost his head completely.
Perhaps he had been observing the ladies at Rokujo, long used to this
sort of thing, and had concluded that she was worse than uninteresting.
Well, it might be that his dissatisfaction should be directed at himself.
Life might have been better for her if he had been a Genji.
Everyone seemed to agree that she was married to a model of
decorum and that her marriage had been ordained by the happiest fates.
And was it to end in scandal?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。嘉永元年(1848年・干支→戌申)。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。後半「忍術魔法術」縷々詳述。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。実母は近衛家女房(瑤林院)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。神代文字「日本古代文字考」等を著す。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
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